「わが人生の時の時」

先日、作家で元都知事の石原慎太郎さんは亡くなったという。

彼は政治家としても、作家としても、異色の存在感を示した人物だったと思う。

単なる存在感があったというよりも、むしろ不思議な重厚感を持ち、存在自体が一種のパワーを放っていたように思う。

 

都知事の時に、

「東京都が尖閣諸島を買う!国がやらないから東京がやる!」

芥川賞選考委員を辞めた時は、

「苦労して(同賞候補作を)読んでますけど、バカみたいな作品ばっかりだよ。自分の人生を反映したリアリティがないんだよ。」

彼の存命中の言動は、時に物議を醸した。

暴言とも解釈されかねない言葉も吐きながらも、毀誉褒貶の評価にも、まったく動じない姿勢を貫いた。

いつも言葉に魂がある人だった。

 

それでも、いつも口癖のように呟いていた。

「このままでは日本がダメになる。。。」

 

石原さんは、大学生の時に書いた小説「太陽の季節」で芥川賞を受賞した。

もうだいぶ昔になるが、私がその映画を見た時、眩しい若者たちの生きる姿が印象に残った。

当時の日本にまったく新しい感覚をもたらしたという。

 

また、小説「秘祭」では、

南西諸島の絶海の孤島を舞台に、島の女の古代からの因襲と人間存在の深淵が描かれていて、その土俗的なモチーフに、作家のミステリアスな一面を垣間見たような気がした。

そして、私が特に印象深かったのは、

「わが人生の時の時」というエッセー集だ。

これは、海、自然、死、女、恋など、人間が生きるとことに挑み、死の危機に瀕しても真剣に生きた作家の生が描かれている。

そして、前述した「自分の人生を反映したリアリティ」が息づいている気がする。

その人生観は人間の集合意識へと通じ、普遍性さえも感じられる。

 

さて、もう30年くらい前のこと。

私は、当時、建設省(国土交通省の前身)の広報委員として国会内を行ったり来たりしていた。

その時、しばしば石原さんが運輸大臣として国会答弁をする姿を目にしたものだ。

とても厳かで、はっきりとした物言いをする政治家だという印象を覚えたものだ。

しかし、その後、東京都知事になると、彼の言動は、より物議を醸すものになっていたような気がする。

 

「彼はね、政治家というよりも文人なんだよ。」

これは、石原慎太郎さんの自民党時代の盟友、亀井静香さんの言葉だ。

文学と政治の両輪に乗って、人生を命懸けで駆け抜けたのであろう、石原慎太郎という人物は、普遍的な何かを必死に探し続けたのかもしれない。

 

三島由紀夫、岡本太郎、江藤淳など、個性派ぞろいの友人たちと交流を深めていた。

「独り、誇り高くそびえ立っている人間こそ、頼もしい。」

岡本太郎さんの言葉は、ひょっとして、石原慎太郎さんのことを指していたのかもしれない。

かつての昭和を象徴する「大人物」が、また一人逝ってしまった。

ふと、さみしさを感じる令和の時の時である。