「海は親だよ!」
齢(よわい)80を越える古老の漁師は、仙台・荒浜の浜辺に佇みながら、そう呟く。
特産の赤貝漁で生計を立てながら、60年以上も漁師として生きてきた。
皺だらけの屈託のない笑顔を浮かべながら、野太い声でまくし立てる。
「俺らにとって海はな、親、親なんだよ。」
漁師は、そう言うと、再び海を見つめる。
たれこめた瞼の奥には、驚くほど澄んだ瞳が動いていた。
そしてまた、海を愛おしそうに見つめる。
先日、 N H Kスペシャルで、東北震災後の10年の記録ドキュメンタリーを見た。
そこには津波で港が壊滅状態になっても、海とともに生きる人々の逞しさがあった。
ただ一筋に海に生き、海に生かされ、海と格闘した人生。
いつも母なる海に思いを馳せる、そんな漁師の言葉が、いやに私の胸に染みた。
さて、
私も、昔、ダイビングで海によく潜った。
伊豆半島、伊豆大島、八丈島、沖縄、そして、フィリピンやオーストラリア、パラオ諸島etc
日本や太平洋の海洋へ、仕事の合間をぬっては出かけていった。
太陽光線が射しこむ海の中には、色とりどりの熱帯魚が泳いでいる。
透明な潮の流れに漂いながら、私は眼前に広がる異世界に心が奪われる日々だった。
迫り来る台風の荒ぶる波の中にダイブした時もあった。
また、あたりに回遊するサメの魚影に怯えながら、海底の岩礁に身を潜めたことも。
それでも、海は命の宝庫。
生命体は、この海と同じ塩分濃度を持っているという。
だから私たち人間も、元を辿れば、その源は海に行き着く。
だが、今、世界中の海が病んでいる。
海洋汚染が凄まじいレベルで広がっているのだ。
病んでいるのは、人間だけではない。
南太平洋に浮かぶ南洋の楽園、ソロモン諸島。
その絶海の孤島とも呼べる浜辺にも、毎日大量のプラスチックゴミが打ち寄せているという。
ペットボトルをはじめ、ショッピングバッグ、ポリ容器など。
それらを海鳥や海亀たちは、餌と間違えて飲み込み、死んでしまうケースが続出している。
そんな非常に痛ましい光景が報道されていた。
そして海洋汚染の怖さは、目に見えない形で、私たちの生活に迫ってきている。
プイラスチックゴミは、太陽光線によってナノレベルの微細粒子に分解され、海に溶けているという。
それを魚が飲み、その魚を人間は食べているのだ。
1960年代に、「我らをめぐる海」という著作で、海洋汚染について世界に警告を鳴らした海洋学者レイチェルカーソン女史。
彼女の言葉が、今更ながら重みを持つ。
「地球の美しさについて、深く思いを巡らせる人々は、
生命の終わりの瞬間まで、イキイキとした精神力を持ち続けることができる。」
私たちの生命に直結している海。そして大自然。
その美しさに、いつも思いを馳せることこそ、
私たち人間が、いつまでも健康で、美しく生きることの鍵なのかもしれない。
すべての生き物にとって、親である海。
それが人類という地球上で最も進化したとされる生き物によって
病んでいるのは、どういうことなのだろうか?
母なる海の美しさ。
その意義は失ってみて初めて気がつくのかもしれない。